昭和49年06月21日 朝の御理解



 御理解 天地書附
 「生神金光大神天地金乃神一心に願え おかげは和賀心にあり 今月今日で頼めい。」
 教祖の神様は、このことを神様からお頂きになられ、このことを総氏子、人間氏子に、お伝えになるために、この世にご出現遊ばされたんだと言うても良いと思うんです。そしてそのおかげは和賀心にありと言う、その和賀心に私共がならせて頂くことのために、すべての御教えがあると思うても良と思ういのです。そこで、おかげは和賀心にありとおっしゃる、そのおかげとはどう言う様なおかげであろうか。
 最近私ここ三四日ですかね、皆さんお聞きの通りとにかく、合楽を極楽にする本当の合楽にする本当に神様と氏子が喜び合えれる場にする。そう言う言うならば模型の様なものをこの合楽の地に創る。合楽に御神縁頂いている信者氏子に、皆んなこの様なおかげを受けさせる。そう言う意味の事を頂くんですよ。だから言うならこの世に極楽がここに出現する。そして合楽を見ると、はぁあれが極楽だなと皆が思えれる。その為にはどういう信心をしたなら良いかと、言う事になって来る訳です。
 それが私はこの天地書附にあると思うんです。私は今日御神前で月火水木金土と言う事を頂いたんです、この月火水木金土と言うのが、足ろうた言うならば極楽の世界と言う事です。私共が感覚的な物を磨いて行く事によって、美を追求して行く事が出来る、又は官能ですね、快い気持ちが良いと言う事です。そういう例えば目に麗しいものを見て、自分の心の上に快い、気持ちの良い心よいおかげを頂くと言う事、そういう言わば感覚をね、身に付けて実際の上にそれを頂いて行くと言う事。
 私は思うんですけれども例えばこの天地が水だけであったら、言うなら地球は凍ってしまうです。火だけであったら、もう燃えきってしまうです。爆発してしまうです。この地球はね、その水と火とが調和を保つと言う事が素晴らしいんです。私は日本という国は、そういう例えば、私が最近言うておるその極楽の世界に一番先になれれる何をかを持っていると言う事です。
 昨日そのことに一寸触れたんですけれども、夕べ遅く菊栄会の後に二、三人の方が見えて色々お話ししたんですけどね。とにかく日本と言う国はね地球の一番東の端にあるんだと言う事。さてぐるぐる廻るとじゃけんあなたそげん東ちゅう事は決まっとらんとじゃけれども。しかし北極とか南極とか言うじゃないか、上が例えば北極であり下が南極ならば、北と南がこっちの方は東じゃないかと、私はこう言うだから日本は東。英国の方が西になる訳です。その東の日出る国と昔から日本の国を言うでしょう。
 又は瑞穂の国とか言うでしょう。そう言う例えば恵まれた場に有るわけです、日本という国は。その日本がまずは、日本全体が極楽の手本を創らにゃいけない、その中でまず合楽が、その見本の様なものを創らなければいけないと言う事なのです。私は昨日もう菊栄会が済んでからでしたから、だいぶ遅かったでしょう。それからまあ色々話ながら丁度昨日の晩、私達は公子さん方によばれましてお茶を一杯頂いた。そして私の為にといって、何か洋酒を一本用意しとりました。
 それが英国製のスコッチウイスキーですね、ジョニーウォカーの黒ラベルの世界一のウイスキーと言われとりますが、私が少し頂き残しておった。それを夕べ持って親先生に召し上がって頂きたいと言って持って来ているのです。そしてその晩のお摘まみの様な物も、皆持って来ているのです。だからあの方達に、昨日文男先生高橋さん、東さんが来ましたから三人に出して美味しい、美味しいと頂きましてから、せいぜい良い気分にならせて頂いた。いうならば最高のものを口にさせて頂いて。
 それから皆んな帰って、文男先生が残ってから私が眠る間足を揉んでおりました。それこそ今日の御理解でいうなら官能でしょうね。もう本当に気持ちの良いそれこそこれが極楽じゃろうかと思う様な気分です。口に世界一のお酒を飲みながらですそして本当にこれが極楽だろうかと言う様にです、いうならば足を揉んでもろうてですそして昨日呑み過ぎたけんで、今日は頭が痛うして答えんというのでなくて、今朝は又清々しいお目覚ましのおかげを頂いてです。
 そういうね有り難い物が続くと言う事なんですおかげというのは。足ろうと言う事なんです。如何に世界一の酒を呑んだっちゃ、あくる日飲みすぎて頭が痛いのは、それは地獄です。それこそ、見るもの、聞くもの、味わうもの、感ずるもの、それが皆んなこれが極楽だろうかと言う様な、いわば味わいを、私は極楽の世界だと思うんです。言うならば暑くも無ければ寒くも無い、もうそれこそ何とも言えん世界を極楽の世界。
 私は極楽というのはそういう結構けだらけの中に有る、言うならば蓮のうてなの中にチャンと座っている、極楽と言うのは窮屈所じゃあると言う物じゃないと思うんです。何時も動いている、その何時も流れ切っている、けれどもそこは何時も水と火の何時も調和の取れた世界がある。月と日と言う事は陰陽と言う事だと思うです。木金と言う事は私はおかげ、いわゆる木は心の上に頂くおかげ、金はお金物人間の幸せの条件の総て、そう言うもの形に表れる所の。
 日というのは適当な憩いですからもう一時だって同じと言う事じゃない、それが全部足ろうという世界が、私は極楽の世界だと思うです。そういう意味でです。合楽にはそういう様な物が足ろうて来ていると言う事です。それなら、私が感じておる最近の心の世界は、極楽の世界だと自分で思うです。だからまずここは極楽の愈々これは極まりなく、極楽の世界と言う物は広がって行くだろう、進展して行くだろう本当の物になって行くだろう。だから皆んなもそれに付いて、そういうおかげを。
 合楽にご縁を頂いている総ての人達が、まず頂かなければならない。そしてその極楽の心持ちでです、その心持ちを自分の周辺に、広げて行こうというのが、和賀心時代を創って行こう、日本国中に極楽を創ってこれを世界中に言うならば、広げて行こうと言うのが和賀心時代を創るというのである。その為には和賀心時代というのは、こういう素晴らしいおかげの世界だと言う事を、合楽にまず見本を創る。それにはねまず良い師匠を得るというか、良い導きを受けなければいけない。
 善導である。そしてそこに愈々有り難い、勿体無いという勿体島、善導寺から勿体島である有り難い勿体無い、心に花を咲かせる所がいうなら椛目である。木偏に花であるその花その芽が出る所である。そういう心を常に持ち続けると言う事である。そして合楽にゴールインと言う事がです、私はそういう意味があると思うんです。合楽にはどうでも合楽の実現、極楽の実現それは私共があ-気持ちがよいと言う事だけでなくて、私と神様が一緒に合楽し合えれる、一緒に極楽に行けれる世界。
 有り難いな有り難いなという拝み合うて行かれる世界、月火水木金土日の足ろうた世界。言うならば貧乏の無い世界、病気の無い世界、人間関係のわずらわしい問題の皆無の世界。そう言う世界をです私は合楽に実現して行かねばならない。又合楽に御神縁を頂く者は、そう言うおかげを頂かなければならない。そこで月火水木金土。言わば水と火の調和と言う物が取れて行くおかげを頂く為には、どういう信心をさせて頂いたら良いかというと、土の信心をさせて頂かねばならんと言う事なのです。
 火と水との調和そして土そこに一切の色んな良い物が言わば、育てられるというか恵まれて来るというおかげの場と言う物がある。おかげは和賀心にあると言うおかげは、そう言うおかげなのだと言う事。だからその事を金光様の御信心をさせて頂く者は、一心にそのおかげの頂ける事の為に一心になったら良いのだ。それには先ず良いお導きを頂く。善導寺勿体島椛目常持合楽と、これは善導寺の親教会から合楽の教会までのバスの停留所の名前なんです。これを例えばこじつけたと言えばそれだけだけれども。
 そういう願いと言う物は神様の昔の昔からあったんだ。そこに合楽がそれこそ合楽の教会が、この合楽の地にもう忽然として出来たとその当時は言われておった。あっと言う間に出来た。それは夢幻の様な忽然ではなくてです。もう神様の前からの祈りに祈られた、その祈りがここに成就したと言う事なんです。そこに大坪総一郎を中心にして合楽の社会をここに実現した、そしてここに縁を頂くものの上に、皆んなその通りのおかげを受けさせて、そのおかげをです全世界にも広げて行こう。
 極楽の見本、合楽の見本とはこういうもの。あいよかけよ、神も助かり氏子も立行くという、おかげはこう言うおかげを言うのだ。皆さん月火水木金土日のね、足ろうたおかげを頂かにゃいけんです。それを合楽の上に皆さん見て下さい。はぁあれが月であろう、火であろう、水であろう木であろう、金であろうであろう、日であろうと言うものを、私の上に表れとる一切の事を、見て取って下さらなければならない訳なのです。
 おかげは和賀心にあると言う和賀心とは、依って頂けるおかげとは、そういう足ろうたおかげの頂けれる世界が開けて来るのだ。貧乏の無い世界病気の無い世界、人間関係の煩わしい争いの無い世界。例えばこの三つの世界でも、合楽の場合は足ろうとるでしょうが。それはね、言うならば水と火の調和と、それを土の信心によって受け止めておるからなんです。どうでも皆さんこれは極楽行きの稽古を本気でなさらなければいけません。只目先の問題は困った事の様であっても、それは困った事ではない。
 それはおかげです。お礼申し上げる事以外にないのです。ですからそれが例えばきついならばです。そこを土の信心でどっこいと受け止めさせてもらってです、おかげを頂いて行く、言わばてだてを作るのが一番です。先日から尾道教会の方達が五十余名ここへ団体参拝された。もうここだけにお参りして見えられた。それから翌日あちらから電話がかかってそれこそ、若先生が電話を受けましたそうですけれども、もう信者一同がもう大変な喜びだったとこう言うのです。今後もどうぞ宜しくお願い致しますと。
 ここでお話を頂いてお茶を頂いてお広前の内外を見て回って、言うならば先程から申します、極楽の世界にふさわしい言うならばここの場と言う物を見て感動した。感激された。有難い御理解を頂いて有難い皆さんの真心のものを味わって、そして有難いこれが極楽の世界。神様がこの全ての調度品なんかでも、お集めになったと言う事を聞いてもう一段とびっくりして部屋部屋に一番最後に私の部屋に。
 私それがお夢で繁雄さんが、あちらの部屋に案内して、ここを案内しとられる所を頂いた。そこの私の控を繁雄さんが説明しとられるのが、「ここは親先生が、朝三時半にお出ましになります。」前の方に白い座布団が二つあった、そしたらこの座布団を指してから、「ここにはお子さん方が二人一緒にお供をして見えられます。」と言うて控えの説明をしておられる。
 まあ今まで見て来た部屋が余りにも立派であったり、華やかであったり色々な素晴らしい、素晴らしいと言いながら、ここにこらせて頂いてです、ここではね身が引き締まる様に信者さん達が、皆四方拝をする様にぐるぐる回って私の部屋を拝んで廻って居られる所を頂くんです。だから華やかとか賑やかとか、立派とか美しいというその中には、身の引き締まる様なものも、中にはなからなければいけんのです。
 昨日そのことを話したら、上野先生が「実はそのとうりの事を、私は御信者さん達が見て回ってからそうでした。」と言うのですよ所謂、天地の親神様が案内してござるわけです。ですから極楽世界と言う物が必ずしも、結構けだらけばかりの世界ではないと言う事を身に引き締まる様な、例えば私がこうして御結界に奉仕させて頂いとると言う事は、楽ではないけれども、確かにここは有難い所なのです。そう言う修業をです。御結界は何時もあいとる。御結界に座っとれば何時も眠りふためきし御座る。
 そう言う物であっては身の引き締まる様な物にはなって来ない。そう言う例えば、極楽行きを感ずる修業と言う物もなされなければいけない。朝参りもせんで極楽のおかげを頂きたいなんて、極楽を頂きたいなんて言う事はとても考えられないです。だから朝参りそのものが有難うならにゃいけんです。そして目先の小さい事に拘わったり、又は、それがおかげの目的ではなくて、ここにある和賀心に付いて来る所のおかげ、それを極楽の世界。月火水木金土日の足ろうた世界。何一つあれが欠けとると言う事のない世界。
 争いのない世界。病気のない世界。人間関係の煩わしい所謂難儀な事のない世界。その過程をです例えば善導寺から合楽までの信心の過程と言う物が、そう言う風に進んで行かなければならない。その為には私はどうでも一番基礎、基本になるのは土の信心だと思うのです。そこに火と水の調和と言う、それこそ熱くもなければ寒くもないという極楽の世界がある訳なんです。そこん所を受け止めさせて貰わなければならない一つのね。私共お互い責任を感じなければいけん、合楽にご縁を頂いたと言う事は。
 神様がです合楽を極楽にする。合楽に集まって来る全部の人に極楽の味わいを味あわせたい。そして和賀心とはこう言うおかげを頂けるんだと言う、おかげを皆さんが頂かれて、それをその周辺に拡めて行かなければならない。そして先ず日本中が極楽にならなければならない。そしてそれが世界中に拡がって行かねばならない。まあ大きな事を言う様ですけれども、そう言う大きな神様の願いがあると言う事なのです。そう言う願いの言わば煎じ詰められた所が合楽んなんです。だから皆さんの一人一人が。
 言うならば感覚官能感美の足ろうた、そういう快い極楽の味わいと言うものを一つ味わい、そしてそれを拡げて行く事に、神様の願いがかけられてある。私だけがおかげを頂くという世界ではない。私がおかげを頂く事がです。それを周辺に拡げて行くと言う所のお役に立たせて頂くと言う事がです、五つの願いにもあらわれている訳です。五つの願いの成就と言う事は、今朝の様な御理解のだと思うのです。それを本当に自分の心の上にも、家の上にもです表わして行くおかげを頂きたいと思うのですね。
   どうぞ。